大戸屋の命運は2015年に尽きていたのか?

飲食チェーンの中でもよく通った大戸屋が今、揺れている。

 

 

創業者である故三森久実氏は「モスバーガーの定食版」を目指したと、あるOBが語っていたという記事を見つけた。東洋経済ONLINE記事

 

 

さらに植竹が分析すると、以下のような要素が顧客を引きつけたのだと思う。

 

 

1.「たて感」があった。

 

出来たて、揚げたて、焼きたて、炊きたて。この「たて感」は顧客のハートをしっかりつかんだ。ロッテリア出身の植竹が思う、「マクドナルト・ロッテリアのハンバーガーとはまったくちがうもの」であったモスバーガーのハンバーガーにもこの「たて」がある。

 

 

2.週3通っても飽きがこない

 

食べ物に「飽き」がくるのは、あまり美味しくもないが、腹が減っているので仕方なく欲求を満たすという、作業的意味合いを含んだときに感じることだと思う。

 

 

2004年当時、週3通った大戸屋にはその“飽き”という感覚はこなかった。「月曜日は肉料理 ⇒ 水曜日は魚定食 ⇒ 土曜日は小鉢で一杯」というようなローテーションをしていたのをよく思い出す。週3行っても飽きないお店という称号は、飲食店での誉れであると思う。

 

 

3.孤食でも家庭を味わえた

 

女性をターゲットにしたのが功を奏した。かつて単身赴任を経験した植竹も、夜仕事が終わり、車を走らせていて、大戸屋の青い看板を見つけると吸い込まれるようにウインカーランプを点滅させていた。

 

 

これは家庭感とも言い換えられると思う。一人暮らしでも両親や兄弟たちと食卓をともにしたあの光景がイメージできる料理や雰囲気が大戸屋にはあった。あくまでも家庭料理を味わえたことを言いたいのではなく、「家庭」を味わえたのだ。

 

 

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昨日も事務所にほど近い大戸屋のお店を訪ねると、場所柄もあるだろうが、孤食者5名の内3名は女性であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

店内でキョロキョロ観察していて、厨房をみたとき目が止まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

撮影したのは、金曜日の夜7時すぎ。本来ならば焼き物食材がどんどん焼かれているべきなのに、直火コンロの種火が小さくユラユラと揺れていた。今の大戸屋には哀愁すら感じられ、当時植竹が好きだった大戸屋の姿は薄れている。

 

 

大戸屋というお店は、2015年の創業者の死とともに終わったのか。いや、心をともにした社員やFCオーナーによってこれからも立て直しは可能であると植竹は見る。

 

 

しかし、一番のウリを手放したらコロワイドの傘下になる。ここで再度原点に立ち返り、何のために久実氏は大戸屋を事業として立ち上げたのか。顧客の笑顔のためではなかろうか。決してお家騒動やお金のために立ち上げたのではないことは断言できる。「”顧客の笑顔”などと、子どもじみたことを言って」と現経営陣が解釈するならば、私は当社株を手放す。

 

 

株式会社チームのちから
代表取締役 植竹 剛