コロナ禍で、今、どのステージにいるのか?
人は皆、幸せになりたい願望がある(はず)。
幸せ、幸福感の定義は人それぞれ。
ここで理性の発展や、神を信じるといった難しい話をするつもりはない。
感覚的に「あぁ、今幸せだなぁ」と思う時、踏むべきステップをステージ化してみた。この意見にはアブラハム・マズローの自己実現論が大きく影響している。
目次
1.5つのステージ
人が幸せだなと感じるときの段階がやはりあると思う。自分が行う何かの作用で、このような順番があるのだろう。
① 自分が満たされているか ⇒ 人によって異なる「欲」が満たされているか。
② 家族が満たされている(と感じられるか) ⇒ 自分だけではなく、「最初の他人」にどう作用して幸せを感じてもらえるか。
③ 近しい仲間が満たされている(と感じられるか) ⇒ 自分が存在することで、仲間が何かを満たせているか。
④ さらに周辺の人が満たされている(と感じられるか) ⇒ 仲間が幸せになることで、その周りの人に幸せが波及するか。
⑤ 社会が喜んでくれているか ⇒ 直接関係のない人が幸せを感じてくれるか。 |
2.範囲の話ではなく、「中心」と「周縁」を意識した
やはり、自分が中心だという考えが一番自分に正直な気がする。最初は自己中心的でないと幸せの波及はならない。
要は自分が満たされて最終的に社会に貢献できるという意味。
そして、あえて社会を「見えないフレーム」を表現したくて四角にした。
3.息子に教えてきたこと
私は学歴、職歴と社会のフレームに適合するのかを物心ついたときから親に教育された。これはこれで大いに感謝している。しかし、息子の場合は適合しえない障がいを持っている。
だから、私が親になって息子に教育したのは「世の中でしてはいけないこと」と「あいさつ」だけである。さすがに息子を犯罪者にするわけにはいかない。
世の中でしてはいけないこと。この躾はなかなか難しかった。健常者の10倍は同じことを繰り返し息子に訴えた。
それとあいさつは自分を幸せにする第一手段であると考えたからだ。小さい声より大きな声、表情が伴えばさらに良しとした。
ここからは、息子の出番だ。
4.社会のフレームは自分が創る
社会的に迷惑を掛けないことが前提で、そこからは息子が社会のフレームを引き付ければ良いという考えを私は持っている。
好きなことでメシのタネを稼ぐ世の中に入りかけた今、障がい者にとっての社会参加のハードルは少しだけ下がった。
ただ、今の息子ではまだ自立はできない。親としてやることがまだある。
それは、自分の「スキ」の何が周りを幸せにしていくのかを、親がレールを何本も敷くことだ。「フック」「琴線」などとも表現されるが、息子の活動がいかに社会が求めていた事かを探す旅だ。
敷いたレールの1本を使って、伸び伸び生きてほしいと願う。
株式会社チームのちから
代表取締役 植竹 剛
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