天下一品のラーメンは苦労と努力の結晶だ

昨日は大戸屋、今日は天下一品。

 

 

創業者はみな、人として強烈なインパクトがある。これは見習わないと損をする。ということで、今日は天下一品の木村 勉氏を書いていくことにした。

 

 

木村氏の公式プロフィールは天下一品HPから引用した。

昭和46年、京都で一人の男が
ラーメンの屋台を引きはじめた。

大阪万博が開かれた翌年、昭和46年(1971年)、
京都で一人の男がラーメンの屋台を引きはじめた。
それまで15年間勤めていた会社が倒産。
持ち金3万7千円、拾い集めた廃材を
板金職人の友人に組み立ててもらってのゼロからのスタートだった。
現在、天下一品グループ5社を率いる木村勉会長、36歳の時である。

 

 

これだけでも相当壮絶な半生であると言える。でも、ここからさらに4年の歳月をかけてあの「こってり」が生まれた。これだけで40歳になっている計算だ。

 

 

公式には書かれていないが、ラーメンの世界に入るまでにはさまざまな職業を経験された。Oさんいわく、「植竹さんの半生とかぶる点が多いですね。いろいろなことを経験されて、すべてが肥やしになっているわけですね」と語ってくださった。

 

 

植竹と木村社長と比べるのは滑稽だが、「結果が出るまでやる。成功するまでやる」という精神は、私の仕事での師匠である亡父も同じことを言っていた。くしくも、木村社長と同じ年生まれである。戦前生まれの方の強さには本当に敬服するばかり。

 

 

そのようなわけで、売上貢献させていただいた。

天下一品関内店

 

 

 

 

 

 

 

 

 

店頭照明がついてたり、ついてなかったりはおもしろい。まぁそんなことより入店入店^^

 

 

とその前に、このような目隠しラインを発見。

うまいラーメンは、うまいスープを知る者から。うまいスープは、うまい素材を知る者から。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それだけスープに自信と愛着があるのだなと思わせる。さて本当に入店^^

 

 

威勢の良いあいさつにつづき、即オーダー。こってり並、ねぎ増し。

 

 

5分ほどで着丼。待たせてはいけないという社長のフレーズ通りだ。

 

いただきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

以前、知人が「風邪の引きはじめなら、テンイチのこってり大盛食べれば次の日治る」と何度も言っていたのを思い出しながらいただいた。うまい。そして腹持ちがよい。

 

 

最近は大盛やセットをいただくことはなくなったが、週に2度は「テンイチ」を思い出していたものだ。病みつきになる味とはこういうことなのだと知らされた。

 

 

スープを少し残したが完食。5分かかっていなかったと思う。好きな食べ物をいただくということは、こういうスピードでいただくものだ。

 

 

天下一品は店舗によっての特性が異なるメニューもあり、非常に楽しい。関内店ではないが「にんにく入れますか?」と聞かれたり、八宝菜がメニューにあるお店も過去にあった。

 

 

同じ看板でも、完全に同じ商品を出すという必要はない。ただし、このスープを除いて。これからも末永く我々を楽しませてください。

 

 

株式会社チームのちから
代表取締役 植竹 剛