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B級グルメ最高! ~長者町 助六寿司~

お店探訪, 代表植竹のアクティビティ

植竹は、店舗経営の中で、一番関心度が高いのは飲食店。

 

 

YouTubeでは、自分では行けないが、代わりに行って食べてくれるチャンネルの伸びがすごい。「超高級店」「ラーメン」「大食い」の傾向が高い中、植竹はあくまでも「コスパ」「穴場」「地元民だけの御用達」という点にフラグが立つ。

 

 

ということで、行ってきました伊勢佐木町。住所で言えば、神奈川県横浜市中区伊勢佐木町とか、同長者町とか。

 

 

最寄り駅はJRならば関内駅、横浜市営地下鉄ブルーラインならば伊勢佐木長者町駅、京浜急行(京急)ならば、日ノ出町駅とそれぞれ500mくらい歩くとこの店がある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

外観は平成を飛び越えて「The昭和」的なにおいがプンプンする。内観の写真はあえて控えた。ここであえて言おう。平成後半からある、新幹線が皿に乗った寿司を直接届けてくれるシステムなどあるはずはない。

 

 

だ円型のカウンター席オンリー約15席。中にある仕事場は2人の板さんが入ったらすれ違いもできない。さらに、出入りをするときはほふく前進をするかのようなせま~いドアから。「う~んしょ!」と気合いを入れないと板場には立たせてもらえない。

 

 

2日間で3人の板さんを見たが、リーダー格、花板さんと思われる方の接客、いやオーダーの復唱がすばらしい。

 

 

「トロ」

 

 

「はい、トロぅ!!」

 

 

声のでかさはフォントのでかさでご理解いただきたい。とにかく、元気、とにかくwithoutコロナ。飛んでけコロナである。フェイスシールド?なんじゃそりゃ?

 

 

板場は客席よりも30cmほど上がっており、かつ皿やテイクアウト用の包材で囲まれているのでコロナ禍でも意外と安心できる。

 

 

初日の花板の接客に感動した植竹は、翌日も訪れた。その日の花板は板場ではなく、ドリンカーの方にポジしていた。

 

 

賄いを端で食べながら、板場で握る板さんをじーーーっと見つめていた。見守る的な意味ではなく、完全に「凝視」である。これぞ職人の世界か、と感じながらお目当ての「ネギトロ巻」をほおばる。

 

 

おいおい、これで300円?コスパ最高!と勝手に自負する。ほかにイサキなどの白身もキュッと引き締まっていて歯ごたえも申し分なし。

 

 

ハイボールは当然のごとくブラックニッカ。嫌なことを超特急で洗い流してくれるかのごとくパンチがある酒。到着とともに空の皿も置かれる課金システムに少し萌える。親父ならではか。

 

 

客席の回転率も異様に速い。「生ビール」「5皿」「ごちそうさん」これで1,500円程度。滞在時間は10分程。元祖ファストフードだ。

 

 

体重は気になる。糖質制限しすぎて頭がクラクラする。そんなときのレスキュー食、寿司。魚から得られる「良い油」も摂れる。

 

 

このような感じでこれからも植竹流に「おやじ探訪」をしていこうと思う。

 

 

株式会社チームのちから
代表取締役 植竹 剛

 

 

 

天下一品のラーメンは苦労と努力の結晶だ

お店探訪, 代表植竹のアクティビティ

昨日は大戸屋、今日は天下一品。

 

 

創業者はみな、人として強烈なインパクトがある。これは見習わないと損をする。ということで、今日は天下一品の木村 勉氏を書いていくことにした。

 

 

木村氏の公式プロフィールは天下一品HPから引用した。

昭和46年、京都で一人の男が
ラーメンの屋台を引きはじめた。

大阪万博が開かれた翌年、昭和46年(1971年)、
京都で一人の男がラーメンの屋台を引きはじめた。
それまで15年間勤めていた会社が倒産。
持ち金3万7千円、拾い集めた廃材を
板金職人の友人に組み立ててもらってのゼロからのスタートだった。
現在、天下一品グループ5社を率いる木村勉会長、36歳の時である。

 

 

これだけでも相当壮絶な半生であると言える。でも、ここからさらに4年の歳月をかけてあの「こってり」が生まれた。これだけで40歳になっている計算だ。

 

 

公式には書かれていないが、ラーメンの世界に入るまでにはさまざまな職業を経験された。Oさんいわく、「植竹さんの半生とかぶる点が多いですね。いろいろなことを経験されて、すべてが肥やしになっているわけですね」と語ってくださった。

 

 

植竹と木村社長と比べるのは滑稽だが、「結果が出るまでやる。成功するまでやる」という精神は、私の仕事での師匠である亡父も同じことを言っていた。くしくも、木村社長と同じ年生まれである。戦前生まれの方の強さには本当に敬服するばかり。

 

 

そのようなわけで、売上貢献させていただいた。

天下一品関内店

 

 

 

 

 

 

 

 

 

店頭照明がついてたり、ついてなかったりはおもしろい。まぁそんなことより入店入店^^

 

 

とその前に、このような目隠しラインを発見。

うまいラーメンは、うまいスープを知る者から。うまいスープは、うまい素材を知る者から。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それだけスープに自信と愛着があるのだなと思わせる。さて本当に入店^^

 

 

威勢の良いあいさつにつづき、即オーダー。こってり並、ねぎ増し。

 

 

5分ほどで着丼。待たせてはいけないという社長のフレーズ通りだ。

 

いただきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

以前、知人が「風邪の引きはじめなら、テンイチのこってり大盛食べれば次の日治る」と何度も言っていたのを思い出しながらいただいた。うまい。そして腹持ちがよい。

 

 

最近は大盛やセットをいただくことはなくなったが、週に2度は「テンイチ」を思い出していたものだ。病みつきになる味とはこういうことなのだと知らされた。

 

 

スープを少し残したが完食。5分かかっていなかったと思う。好きな食べ物をいただくということは、こういうスピードでいただくものだ。

 

 

天下一品は店舗によっての特性が異なるメニューもあり、非常に楽しい。関内店ではないが「にんにく入れますか?」と聞かれたり、八宝菜がメニューにあるお店も過去にあった。

 

 

同じ看板でも、完全に同じ商品を出すという必要はない。ただし、このスープを除いて。これからも末永く我々を楽しませてください。

 

 

株式会社チームのちから
代表取締役 植竹 剛

大戸屋の命運は2015年に尽きていたのか?

お店探訪, 代表植竹のアクティビティ, 執筆

飲食チェーンの中でもよく通った大戸屋が今、揺れている。

 

 

創業者である故三森久実氏は「モスバーガーの定食版」を目指したと、あるOBが語っていたという記事を見つけた。東洋経済ONLINE記事

 

 

さらに植竹が分析すると、以下のような要素が顧客を引きつけたのだと思う。

 

 

1.「たて感」があった。

 

出来たて、揚げたて、焼きたて、炊きたて。この「たて感」は顧客のハートをしっかりつかんだ。ロッテリア出身の植竹が思う、「マクドナルト・ロッテリアのハンバーガーとはまったくちがうもの」であったモスバーガーのハンバーガーにもこの「たて」がある。

 

 

2.週3通っても飽きがこない

 

食べ物に「飽き」がくるのは、あまり美味しくもないが、腹が減っているので仕方なく欲求を満たすという、作業的意味合いを含んだときに感じることだと思う。

 

 

2004年当時、週3通った大戸屋にはその“飽き”という感覚はこなかった。「月曜日は肉料理 ⇒ 水曜日は魚定食 ⇒ 土曜日は小鉢で一杯」というようなローテーションをしていたのをよく思い出す。週3行っても飽きないお店という称号は、飲食店での誉れであると思う。

 

 

3.孤食でも家庭を味わえた

 

女性をターゲットにしたのが功を奏した。かつて単身赴任を経験した植竹も、夜仕事が終わり、車を走らせていて、大戸屋の青い看板を見つけると吸い込まれるようにウインカーランプを点滅させていた。

 

 

これは家庭感とも言い換えられると思う。一人暮らしでも両親や兄弟たちと食卓をともにしたあの光景がイメージできる料理や雰囲気が大戸屋にはあった。あくまでも家庭料理を味わえたことを言いたいのではなく、「家庭」を味わえたのだ。

 

 

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昨日も事務所にほど近い大戸屋のお店を訪ねると、場所柄もあるだろうが、孤食者5名の内3名は女性であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

店内でキョロキョロ観察していて、厨房をみたとき目が止まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

撮影したのは、金曜日の夜7時すぎ。本来ならば焼き物食材がどんどん焼かれているべきなのに、直火コンロの種火が小さくユラユラと揺れていた。今の大戸屋には哀愁すら感じられ、当時植竹が好きだった大戸屋の姿は薄れている。

 

 

大戸屋というお店は、2015年の創業者の死とともに終わったのか。いや、心をともにした社員やFCオーナーによってこれからも立て直しは可能であると植竹は見る。

 

 

しかし、一番のウリを手放したらコロワイドの傘下になる。ここで再度原点に立ち返り、何のために久実氏は大戸屋を事業として立ち上げたのか。顧客の笑顔のためではなかろうか。決してお家騒動やお金のために立ち上げたのではないことは断言できる。「”顧客の笑顔”などと、子どもじみたことを言って」と現経営陣が解釈するならば、私は当社株を手放す。

 

 

株式会社チームのちから
代表取締役 植竹 剛

 

 

 

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